その年、旧友から「年賀状」いや、正確には年始挨拶状が届いたのは、1月14日だった。
その友人は元職場の同僚で、彼女が結婚退職してからもう40年来会っていない。それでも、年賀状のやり取りはずっと続いていた。彼女の年賀状はいつも元旦を過ぎてから届き、僕が出した年賀状への返信や、近況が詳しく綴られていた。ある年は、その1、その2…と、3枚セットのはがきが届いたこともある。だから僕は、会っていなくても、彼女がその後どういう人生をたどってきたのか、なんとなく知っていた。
年賀状はいつも少し遅めに届くとはいえ、1月7日を過ぎてからということはこれまでになかった。そして、それは年賀はがきではなく、封書だった。
かすかな違和感を覚えて封を開けると、中には2枚のはがきが入っていた。「2022 NewYear」の言葉と、春を待つ詩が綴られている。裏面に目をやると、僕は思わず息をのんだ。
「ほんの少し早めですが、天国の母のもとへまいります」
想像もしなかったメッセージが目に飛び込んできた。
続けて、幸せな人生であったこと、感謝の気持ち、そして最後に
「みなさまも楽しく元気に生きてくださいな。またね…」
と、別れの言葉が綴られていた。その周囲には、彼女が好きだった明るい色の花で飾られていた。
もう1枚のはがきには、彼女の夫の字で、最期の様子が書かれていた。ホスピスで穏やかに過ごし、眠るように安らかに旅立っていったという。
その便りには、悲しみの色はなかった。優しく、あたたかな空気が漂っている。
しかし、喪中はがきでその死を知らされるよりも、はるかに衝撃は大きかったかもしれない。
僕は、もう何十年も前、職場で彼女と出会い、ともに戦った日々を思い出した。女性ばかりの売場で、若くして責任のある立場を任された彼女は、もちろんやりがいもあっただろうけれど、人間関係の気苦労も多く、業績に対するプレッシャーもあっていろいろと大変な思いをしたはずだ。なのに、いつも笑顔を絶やさなかった彼女。やがて結婚を機に退職し、その後は夫の家業を手伝いながら家のこともこなし、忙しいながらも充実した日々を送っていたのだろうと思う。一方で、仕事と家事を両立しながらの子育てにおいて相当な苦労があったことを、数年前の年賀状で知った。
それでも最期は、穏やかな気持ちで人生を終えたのだ。そう思うと、涙があふれた。
最近は近親者だけでおこなう家族葬が増えていて、人が亡くなっても、葬儀の後に知ることが多い。人づてに聞いたり、喪中はがきが送られてきてはじめて知る、というケースも少なくないだろう。
葬儀に参列すれば、遺族から故人の人柄や人生について話があり、また、参列者同士で思い出を語り合い、その人を偲ぶことができる。でも、そういう機会が持ちづらくなってしまった。それもちょっと寂しい。
でも僕は、もう何十年も会っていない旧友と、年に一度やりとりする年賀状でささやかな交流を続け、最後に届いた「天国からの年賀状」で、その人の人生、最期の時に思いを馳せ、涙した。
昨今、年賀状を、終活による断捨離、あるいは虚礼廃止の一環として送るのを辞める人が増えている。
だけど僕は、ずっと年賀状を送ってきたし、これからも送り続ける。
今年もこの時期に生きていた、その実感を伝える。生きている証明書。自ら発行する証明書。
そして、送った年賀状がちゃんと相手に届いたか、宛先の存在の確認。
一年を振り返り何でもよいから一筆啓上。
年賀状じまいなんてもったいない、そう思いながら。
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